2012年9月14日金曜日

異性愛とセックス

 不倫相手である彼女に、私は何を求めているのか。それは、自分の愛する者に愛される喜びだ。セックスの喜びも少なからずあるが、それはあくまで二義的なものだという気がする。

 肉親や家族を愛し、彼らに愛されること。そうした愛情については、私はこれまでの人生で恵まれていた方だと思う。しかし、それと異性愛とは違うものだ。

 私は妻を異性として愛そうとしたし、現在の恋人に出会うまでは努力を続けてきた。妻は私を家族として愛してくれているが、異性としては見てくれない。もちろん、私にも落ち度があるのかもしれないが。

 セックスがしたいという理由で、不倫相手を探した訳じゃない。私自身のセレンディピティ(探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能)が発揮された結果として、彼女と出会い恋人になったのだ。

 逆に、セックスの相手を探していたら、彼女のような素晴らしい女性とはめぐり合えなかっただろうし、たとえ会えても見向きされなったに違いない。

 セックスは互いの愛を深め、喜びを謳歌する手段の一つであって、目的ではない。しかし、愛し合う相手とのセックスは余りにも快楽に満ちていて、そのに溺れているという自覚はある。